【先人の想い】
「いつからタコさんは谷田町西ノ割公園にいたんだろ⁉️」という子どもたちの声に大人たちは「僕らが物心ついた頃にはあった❗️」と話す。
タコさんは、昭和60年4月15日に西ノ割公園が出来た時からここにいる。38年前から谷田町にいる。
今日のありがとう会に、知立南部土地区画整理事業の記念誌を持参して、子どもたちや大人たちと一緒にながめていると…
「僕の家は、ない❗️」「ライオンズマンションは?」「南中学校もない❗️」「あれ?コンビニもない、カーマもない❗️」「僕のおじいちゃんの家はある❗️」と声があがる。そして、記念誌には、区画整理事業にご尽力頂いた方々の名前や写真がある「私のおじいちゃんだ!」「僕の曾祖父さんだ‼️会ったことないけど…」と
区画整理事業のビフォーアフターをみんなで見ていると町の様相も変わり、まだ変わり続ける知立南部土地区画整理地域内の谷田町。谷田町の人口もタコさんが来た頃は、1,500人だったのが、今では5,000人を超える。
「区画整理事業は、孫子の代の置き土産。夢を描いて新しい街づくりに邁進した」「区画街路が整備され、整然と造成された公園で遊ぶ子どもたちの声がはずんでいるのを夢見てた」とは、記念誌にある区画整理事業にご尽力頂いた方々の言葉。
時代の流れとは言え、祖先が守り育てた土地に大改革を加えた事で子々孫々に至るまで「やってよかった」と言えるような郷土づくりをという先人の想いをしっかりと、今日来てくれた子どもたちにも伝えなければならない。
愛知県知立市 市議会議員 中島清志 公式サイト